8月の終戦記念日を迎え、昭和天皇による終戦の詔書について書きたいと思っていましたが、ついつい仕事に忙殺され、9月になってしまいました。
僕が生まれたのは、昭和46年で、太平洋戦争が終わったのが、ご存知の通り昭和20年8月15日です。なんと生まれる26年前までは、日本は、戦争をしていたという事実。
26年間という期間は、平成年間が31年だったことに照らし合わせると、非常に短く感じます。
「おぎゃー」と生まれた赤子が、26歳という青年期を迎える。その短き期間において日本という国は、劇的な変化を遂げました。戦後の焼け野原から一転、経済的な発展を遂げ、成熟した社会を築き上げました。
敗戦国という事から、行き過ぎた平和主義へと価値観が移り行きましたが、僕らの祖父母が大切にしてきた日本人としての価値観まで否定することは何か違うのではないか?と日々感じています。戸籍の中の祖父母は、まぎれもなく僕らの祖先であり、戦前と戦後を分断するべきではないと感じます。
皆さまは、終戦記念日である昭和20年8月15日に時の天皇である昭和天皇が、ラジオでおこなった玉音放送というのを、テレビなどで一度は聞いたことがあるかと思います。
何となく悲壮感に溢れ、日本国民がこぞって首を垂れた映像を見たことがあるかと思います。
この年になり、どんな内容だったのかと気になり、調べたところ、西日本新聞で原文と現代語訳文が掲載されていたので、興味のある方は一読いただければと思います。
目次
玉音放送の全文
朕(ちん)、深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置をもって時局を収拾せんと欲し、ここに忠良なるなんじ臣民に告ぐ。
朕は帝国政府をして米英支蘇(べいえいしそ)四国(しこく)に対し、その共同宣言を受諾する旨(むね)通告せしめたり。そもそも帝国臣民の康寧(こうねい)を図り、万邦共栄の楽(たのしみ)をともにするは、皇祖皇宗(こうそこうそう)の遺範(いはん)にして朕の拳々(けんけん)おかざるところ。さきに米英二国に宣戦せるゆえんもまた、実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾(しょき)するに出で、他国の主権を排し領土を侵すがごときは、もとより朕が志にあらず。
しかるに交戦すでに四歳(しさい)を閲(けみ)し、朕が陸海将兵の勇戦、朕が百僚有司の励精、朕が一億衆庶の奉公、おのおの最善を尽くせるにかかわらず、戦局必ずしも好転せず、世界の大勢また我に利あらず。しかのみならず敵は新たに残虐なる爆弾を使用してしきりに無辜(むこ)を殺傷し、惨害の及ぶところ真(しん)にはかるべからざるに至る。しかもなお交戦を継続せんか、ついにわが民族の滅亡を招来するのみならず、ひいて人類の文明をも破却(はきゃく)すべし。
かくのごとくは朕、何をもってか億兆の赤子を保(ほ)し、皇祖皇宗の神霊に謝せんや。これ朕が帝国政府をして共同宣言に応じせしむるに至れるゆえんなり。
朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し遺憾の意を表せざるを得ず。
帝国臣民にして戦陣に死し、職域に殉じ、非命にたおれたる者および、その遺族に思いを致せば、五内(ごだい)ために裂く。かつ戦傷を負ひ、災禍をこうむり、家業を失いたる者の厚生に至りては朕の深く軫念(しんねん)するところなり。おもうに今後、帝国の受くべき苦難はもとより尋常にあらず。なんじ臣民の衷情(ちゅうじょう)も朕よくこれを知る。しかれども朕は時運のおもむくところ、堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、もって万世のために太平を開かんと欲す。
朕はここに国体を護持し得て、忠良なるなんじ臣民の赤誠(せきせい)に信倚(しんい)し、常になんじ臣民と共にあり。
もしそれ、情の激するところみだりに事端をしげくし、あるいは同胞排擠(はいせい)、互いに時局をみだり、ために大道を誤り、信義を世界に失ふがごときは朕最もこれを戒む。よろしく挙国一家、子孫相(あい)伝え、かたく神州(しんしゅう)の不滅を信じ、任重くして道遠きをおもい、総力を将来の建設に傾け、道義を篤くし、志操(しそう)をかたくし、誓って国体の精華を発揚し、世界の進運に後れざらんことを期すべし。
なんじ臣民それよく朕が意を体(たい)せよ。
現代語訳文
私は深く世界の大勢と日本の現状に鑑み、非常の措置をもって時局を収拾しようと思い、忠義で善良なあなた方臣民に告げる。
私は帝国政府に米国、英国、中国、ソ連の4カ国に対しその(ポツダム)宣言を受諾することを通告させた。そもそも帝国臣民の安全を確保し世界の国々と共に栄え、喜びを共にすることは、天皇家の祖先から残された規範であり、私も深く心にとめ、そう努めてきた。
先に、米・英2カ国に宣戦を布告した理由もまた、帝国の自存と東亜の安定を願ってのものであって、他国の主権を侵害したり、領土を侵犯したりするようなことは、もちろん私の心志(意志)ではない。しかしながら、戦闘状態はすでに4年を経て、わが陸海将兵の勇敢な戦闘や、官僚・公務員たちの励精、一億民衆の奉公は、それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転せず、世界の情勢もわれわれにとって不利に働いている。
それだけでなく、敵は新たに残虐な爆弾(原子爆弾)を使用して、罪のない人々を殺傷し、その被害ははかり知れない。それでもなお交戦を継続すれば、ついにわが民族の滅亡を招くだけでなく、それから引き続いて人類文明をも破壊することになってしまうだろう。そのような事態になったとしたら、私はどうしてわが子ともいえる多くの国民を守り、皇祖皇宗の神霊に謝罪することができようか。これが私が政府に宣言に応じるようにさせた理由である。
私は帝国とともに終始、東亜の解放に協力してきた友好国に対して、遺憾の意を表さざるを得ない。
帝国臣民であり、戦場で没し、職場で殉職し、悲惨な最期を遂げた者、またその遺族のことを考えると内臓が引き裂かれる思いがする。さらに戦場で負傷し、戦禍に遭い、家や仕事を失った者の厚生については、私が深く心配するところである。思うに、今後、帝国の受けるであろう苦難は尋常ではない。あなたたち臣民の本心も私はよく知っている。しかし、私はこれからの運命について堪え難いことを堪え、忍び難いことを忍んで将来の万世のために太平の世を切り開こうと願っている。
私は、ここにこうして国体(天皇を中心とする秩序)を護持して、忠良なあなた方臣民の偽りのない心を信じ、常にあなた方臣民と共にある。もし激情にかられてむやみに事をこじらせ、あるいは同胞同士が排斥し合って国家を混乱に陥らせて国家の方針を誤って世界から信用を失うようなことを私はもっとも戒めたい。国を挙げて一つの家族のように、子孫ともどもかたく神国日本の不滅を信じ、道は遠く責任は重大であることを自覚し、総力を将来の建設のために傾け、道義心と志操(守って変えない志)をかたく持ち、日本の栄光を再び輝かせるよう、世界の動きに遅れないように期すべきだ。あなた方臣民は私のそのような意を体してほしい。
皆様は何を感じたでしょうか?
もちろん戦争によって他国に迷惑をかけたことは責められるべきことです。しかしながら事実はわかりませんが日本という国の存亡のためと東アジアの安定のためという大義名分をもって戦争に踏み切ったという事も当時の世相だったのではないでしょうか?
事実、太平洋戦争を機に欧米の植民地であった東南アジアなどの国々は、独立を果たしたという側面もあります。
また、天皇の人柄が文章ににじみ出ていて、当時の日本の家父長的な雰囲気が出ていて素晴らしい内容だと感じます。
僕は、亡くなられた元東京知事であった石原慎太郎さんの発言がとても好きで、タカ派だとか右翼だとか保守などと言われそうですが、戦前の日本的な心は美しいと思いますし、現代の日本人の中にも良き心が残っているものと思います。
昨今の世の中で、人権や多様性をかざし、自己の利益のみを追求し、他人の不利益もやむなし的な風潮には閉口するばかりです。
僕自身が法律を学んで得た素晴らしい概念は、公共の福祉という概念です。自己の権利利益と公共の福祉を比較衡量し、天秤にかけ自己の権利利益を押し通すことが公共の利益に反する場合は、公共の福祉を優先するという事は合理的であるという事です。
世の中には、人権派弁護士と言われる方々で、法律をかざし依頼者の利益ばかりを追求する先生方もいらっしゃるかと思いますが、同じ法律を勉強し、何を学んだのだろうと疑問に思う事もしばしばです。
少し愚痴っぽくなりました。戦後80年近くも経過してしまいましたが、尋常でない苦難を受入れ、堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、世を切り開いてきた先人たちに感謝したいと思います。








