近年の出来事についてと今後について

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昨年の令和5年のことで自分の身に起き、今まで触れていなかったことを書こうと思います。

旧友との再会

今まで交流のなかった小中学校の同級生たちとの交流の再開が始まりました。

きっかけは、北海道にゴルフ旅行に行った際のラウンド中にある突如1本の電話をいただくことから始まります。小学校・中学校の同級生で幼馴染A君からの電話でした。

内容はと言うと、A君が自動車に乗車中に追突事故に遭い、加害者側から慰謝料等を請求するにあたり、地元の親からの又聞きで僕が行政書士という事を聞き、

請求の手伝いをお願いできないか

との問い合わせでした。

残念ながら、第三者が報酬を得て示談交渉を行うことは、弁護士法72条に抵触するため、お断りをしたのですが、実に30数年ぶりの会話でした。

そこに関しては、納得いただいたのですが、ちょーご無沙汰ということもあり、近々飲みに行かないかとのお誘いをいただきました。

僕の出身は、千葉県の船橋市、JR総武線の津田沼駅が最寄りで、今現在も実家は、船橋にあります。

そんなこんなで北海道から帰った翌週に、津田沼駅にて幼馴染A君と他2名の計4名で会うことになりました。

僕は、中学を卒業すると、今はなき船橋西高校という高校を卒業し、その後、大学へと進みますが、大学時代は遊び尽くし、地元に寄り付く事が少なくなり、自然と同級生とも疎遠となり、数十年もの年月が経過しました。

いろんな人生の酸いも甘いもを経験し52歳となり、数十年の時を経て子供のころの友人に会った感想は、何の違和感もなく一瞬として数十年の時間は埋まり、子供のころの関係に戻れたことでした。久しぶりに会う友人は、自分も含め白髪交じり、或いは頭髪も薄くなり見かけこそ変わったものの当時と何も変わっておらず、非常に懐かしく楽しい時間を過ごしました。そこで初めて知ったのは、中学校の同級生が30人以上も繋がっているグループラインがあり、僕も招待を受け参加することとなりました。

そこから端を発し、ライン上で何人もの懐かしい面々と会話を交わし、誰がどうなったとか、子供が何人いるとか何の仕事をしているとか交流がはじまり、同級生とゴルフに行ったり、何回か津田沼で飲んだり、年末には、16人くらいの同窓会に参加するに至りました。

がむしゃらな20代・30代を経て、結婚もして家族ができ、50代となり、ちょっぴり仕事でも家庭でも余裕ができてきた中、なんとなく子供時代の交流が楽しくもあります。

人生とは面白いもので、何かうまく好転すると、何かが行き詰っていくものです。おかげさまで行政書士の仕事は順調に伸びていますが、多忙さの割に収入面が伸びません。令和5年の年末くらいまでは、これ以上は自分一人のマンパワーでは、回しきれないかもしれないとの不安がよぎりました。

保険代理店の行詰まり

そんな中、兼業をしている保険代理店の方が行き詰まってきました。僕の5年前くらいのブログをご覧になっていただければわかると思うのですが、僕はもともと損害保険の代理店に勤めており、パワハラ役員のいる環境の中、じっと我慢をし、道を開くべく行政書士となり、行政書士事務所を開業しました。保険の方も大切なお客様とも付き合っていくべく現代理店店主Bさんに拾っていただき、兼業として損保の仕事も続けることができました。

代理店主Bさんには感謝しかありません。

以前の職場は、憮然とした役員が、常に不機嫌さを纏い、皆がなんとなく役員の顔色を伺いながら、神経をすり減らしながら仕事をしていたので、そんなパワハラ役員から逃れられたことはこの上ない幸せでした。

しかしながら令和3年くらいを境に代理店の様相が変わってきます。正月明けのある時に事務所に行くと、明らかに様子が違います。僕と店主の事務机が並ぶ事務所に、机が一つ増えており、会社名の看板の下に別の会社の看板が掲げられています。

後から店主に説明を受けたのですが、ある女性がWebサイトを作成する会社を立ち上げたいとのことで、店主自ら女性をバックアップし、事務所も間借りとして一部使用貸借することにしたとの事です。その時の気持ちは正直、何の相談もなく勝手に決めて、事後承認の様に言われたとき、無性に腹が立ち、呆れてしまいました。

ただ、僕も行政書士の仕事を軌道に乗せようと頑張っていたというのもあり、極力事務所を避け、自分のことに集中しようと試みました。

その数か月後にそのwebサイト制作の会社の契約書作成のため協力を求められたため、一回打ち合わせに参加する機会がありました。その席上で、その女性のあまりにも常識のなさにその女性と僕とで口論となり、その女性は席を蹴って出て行ってしまいました。

そんな出来事もあり、ますます事務所に行くことから遠ざかっていきます。我関せずと、仕事を続けていくも様相が更に悪化していきます。なんと店主の保険代理店としての事務仕事が次第に疎かになっていき、保険更新契約の計上が満期当日計上、申込書等の保険会社への送付遅れ等の事務不備が増えていき、令和4年の春には、代理店監査を受けることとなります。

監査の結果としてかなりの忠告を受けます。代理店として更新のタイミングが遅く、エラー回答も貯め込んでいたりといよいよ不味い状態になりつつあると思いました。保険会社からは、早期更改をしている僕に店主のフォローなども考えるよう促されます。

そして店主と女性との関係もだんだんと悪化していくことになります。恐らく下心あって近づいたと思うのですが、女性から次第に軽くあしらわれ、パワハラ上司の様な態度をとられるようになってきます。

店主と顔を合わせると、その女性との関係の愚痴や悩みを打ち明けられるようになったため、関係を断ち切るように進言するも一向に断ち切る様子がありません。そんなこんなでいたずらに時が経過します。

令和5年となり初夏を迎えた頃に決定的な出来事が次々と起こっていきます。店主の担当するお客様から保険会社に直接クレームが次々と入るようになります。クレームの内容は、Bさんと連絡が取れない。或いは、折り返しの連絡をお願いしても折り返しがないし、保険のことでお願いをしても何もしてくれないので、代理店を変えて欲しい等のクレームです。

そこで保険会社からお客様に代理店にはもう一人営業がいるのでそちらで対応できますという案内が行き、僕と店主の同行でお客様にところに謝罪に行くことになります。

結果として、お客さんからの強い要望等で数件のお客様を僕の方で引き継ぐこととなりましたが、よっぽど信頼関係がなくなったためか、相当数の契約が落ちることとなります。また、2年前くらいの事故についても棚上げ状態となっている事故が多数あり、ほったらかしにされている事故を引き継ぎ、数件の事故を解決に向け、保険会社の査定と交渉し、ある時は事故の被害者とも交渉し、元請やお客様を説得しつつ解決した事故件数も相当抱えることになります。

この状態まで来てやっと店主が動くこととなります。例の女性とようやく関係を断つこととなります。

ここから更に事が起こります。僕は、保険の報酬は基本的にコミッションでいただいていますが、なんと報酬が激減します。昨年と比しても数字が変わらないのに激減。生活に困るくらいの激減。原因は、引き継いだ大口のお客様の大口の解約等もあり恐らく収入が減ったため。とはいえ、行政書士としての収入があるので何とかやっては行けます。

しかし、引き継いだお客さんのコミッションも払われずただ働き。勿論、僕にコミッションを支払うことで会社が傾いてしまっては本末転倒ですが、原因を作ったのは、店主です。

ここまできて何かが僕の中で芽生えました。このままではやばいぞと・・・

僕一人であれば、細々ではあれ特に問題なく代理店営業は続けて行けますが、一蓮托生です。

そんな悩み多き時期に、旧友と再会することになります。

今後について

秋頃に小中学校の同級生のつながりで、同級生のC君含め地元の市川で飲み会に参加しました。同級生のC君は、なんと不動産会社を経営し、ものすごい数の物件の賃貸オーナー売買仲介手数料等で稼いでいるようでした。羽振りもよく、大抵のことはお金で解決できると言ってのけるほどの成功ぶりでした。

僕も宅地建物取引士の資格を持っているという事を言うと、そこからC君の不動産業経営のおすすめに入ります。

僕自身は、行政書士としての知識を深めるためにFPや宅建の資格を取得しただけであったため、業界のことは何も知りません。許認可こそできるものの実務がわかりません。

その場はなんとなく昔話に話が盛り上がり、飲み会を終えました。

ただ、前段にも触れたような問題を抱えていて、なんとなく人に使用される身はもうごめんだ!という気持ちになっており、そんな中どうしたら生計を立てて行けるかについて

思い悩んでいる中でした。今後のことを考えるとA君の言葉がじわじわと思い浮かびます。

宅地建物取引業について

そんなこんなで何の気なしにインターネット等で調べると、一人不動産屋などの書物などもたくさんあり、調べていくことにしました。

本を数冊購入し、読み広げていくと、不動産業の魅力は、その単価の高さにあります。不動産売買の仲介手数料は、売買価格の3%+6万円と消費税。

3,000万円の売買の仲介手数料は、税込みで1,056,000円となります。しかもこれは片手手数料で、売主と買主の両手仲介の場合は、倍の2,112,000円にもなります。

しかも仲介であれば在庫を抱えるわけではないので、リスクも少なく、年に数件でも仲介をすれば、サラリーマンの年収ぐらいは稼げてしまうという事の様です。

加えて労働集約型の仕事ではないので、一人でもでき、ランニングコストもかからないという事で、非常に行政書士に近い仕事だなあという感想です。しかし、行政書士との違いはその単価の高さは群を抜いて高いという事です。弁護士にも負けない単価の高さではないかと思われます。

しかも多くの不動産屋さんは、損害保険の代理店も兼業しています。損害保険のお客様も維持したい僕には、ぴったりではないか?と思い始めるに至ります。

皆さんは、不動産業と言うとどんなイメージをお持ちでしょうか?保険代理店に負けず劣らずダークなイメージがありますよね?なんか騙されそうとか、営業がしつこそうとか・・・

でも行政書士をはじめとする士業の場合、お客さんからは、「先生」などと言われて、自分の知らないことを知っているなどのイメージから何となく信頼できそうとのイメージがあるのではないかと思います。

そんなこんなもあり、宅地建物取引業+行政書士+損保代理店という形態にて独立できないかとの思いが強まります。

どうせなら法人を設立し、自分の会社を作りたいなあと考えだしたところ、問題が一つあります。

宅地建物取引業の認可を取る要件というのがあります。欠格要件などもいろいろありますが、最も足枷となるのが以下になります。

常勤専任宅地建物取引士を置く事。

専任の取引士は、「常勤性」と「専従性」の2つの要件を充たさなければなりません。

つまり、①当該事務所に常勤して、②専ら宅建業の業務に従事することが必要となります。

そして、専任の取引士は、宅建業に専任しなければならないことから、原則として他に業務を持ちえないものであることが必要となります。他の職業を兼務する場合については、勤務実態、業務量を斟酌して判断する事となります。

つまり行政書士と専任の宅地建物取引士が兼務として営業ができるか?という問題です。

首都圏近郊の都道府県の手引きを確認すると、どこも行政書士事務所と宅建業事務所が同一の事務所であれば一応は、兼業ができます。

しかし、宅建業=法人、行政書士=個人事業の場合で、兼業が可能なのか?という問題があります。

インターネットで調べると、中には大阪府の様に、宅建業=法人、行政書士=個人事業主の形態でも認可が下りる自治体もあるようです。

悩んでも仕方がないので、直接千葉県の不動産課に聞くことにしました。

すると以下の返事をいただきました。

原則として兼業は出来ません。同一事務所で宅建業=個人事業主、行政書士=個人事業主であれば、不可能ではないとまでしか言えないと

 

つまり、宅建業をやるのであれば、個人事業主一択です。保険代理店がなんか個人事業主っていうのもなあと思いつつ、ここは諦めるより他ないようです。

そして、現在の行政書士事務所は、自宅兼事務所の形でやっていますが、宅建業の事務所要件は結構厳しくて、自宅兼事務所の場合、

生活空間を通らず客を事務所に迎え入れることができること生活としての入口と業としての入口の分離など要件を充たすことは不可なので、外に事務所を借り、行政書士の事務所の所在登録も変更が必要となってきます。

そして、宅建業を開業するには、弁済業務保証金分担金を支払うために宅建協会全日本不動産協会に加入する必要があり、千葉県の加入金は130万円程度かかるようです。

事務所経費と協会加入金等併せて初期投資が200万円超くらいはかかりそうです。

5月からの住民税や固定資産税等の支払いのことを考えると今すぐには動けなさそうです。加えて、先に触れた専任の取引士は、兼業不可なので現在の代理店は当然ながら退職の必要性が出てきます。

損保代理店を始めるにしても、当面は、保険代理店の方の収入が途絶えるわけですから、タイミングも重要となります。

令和6年は、焦らず、下調べや事業計画、収支計画を練り、将来に向かって準備ができればと思っています。

そんな一連の出来事から自分自身の変化が禍福は糾える縄の如く立て続けに起こってきたという近況報告でした。

そして、動きが出てきましたら、またブログ上に掲載したいと思います。

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